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Malicosmos ―高橋真理子の小宇宙

malicosmos.exblog.jp

「つなぐ」「つくる」「つたえる」「とどける」 これが自分の仕事のキーワード

人生を転換してきたXデーⅡ~大学2~4年生

今日は久々、八ヶ岳のアルリ舎へ。 そこには、自分の大切な本、CD、かつての日記などなどがおいてある。
なんだかまとまっているような、ないような。 2月9日に向けて、これまでのもの、いろいろひっくり返している。 

前回の続き。
1990年3月、アラスカ、フェアバンクス。 
私は、紹介してもらった西山さんのお宅に1週間以上滞在させていただく。
フェアバンクスにいる日本人で、彼女のことを知らない人はいない、というぐらい、
アラスカの日本人にとっての「母」だった。 誰がきても恒にウェルカムな家。
そんな彼女も、去年、癌で亡くなられてしまった。 でもその最期は、彼女にお世話に
なった人達が毎日のようにお見舞いにきて、とても幸せな最期だった、と聞く。
「ヘレン、人生で一番大事なものは何?」「友達だよ」 という、星野さんの本にでてくる
会話がまた思い出される。

そんな西山さん宅滞在の1週間強の間、星野さんは来ない日はない、というぐらい
毎日きていた。郵便をとりにきたり、夕食を一緒に食べていたり。 そうして毎日、
なにかしらお世話になっていた。 交通手段も限られているので、日中も、夜も
あちこち連れまわしてくれた。
「今のこの時期、漠然と、いいな、と思うものを大事にしたほうがいいよ」ということや
撮影のときのさまざまなエピソードも、すべてその西山さんのお宅があったから
聞けたことだった。
アラスカ大でオーロラの研究をしたい、という私の話を聞き、「それだったら
赤祖父先生のあわなくちゃ。コンタクトをとってあげる」と、さっそく先生に
かけあい、結局、私のわずかな滞在時間内に、あわせていただくことに。
私自身も、赤祖父先生に「ダメもと」と思って、手紙を書いていたので、
案外、すんなりと会ってくださった。 すごい余計な荷物、と思いながら、
赤祖父先生の「オーロラ写真集」はわざわざ日本からもってきていた。
オーロラの研究ということが何を意味するのかさえ、きちんと理解
してなかったゆえに、先生に、「で、君は何をやりたいの?」 と聞かれて、
しどろもどろと、「えーっと、あのう、オーロラで発電してみる、とか」と
言ってしまったのであった。 あとから何度思い出しても恥ずかしい。

星野さんには、アラスカ大学フェアバンクス校内の展望場所や、地球物理学
研究所の屋上にも連れていってもらった。 口癖のように言う「おおきな風景だねえ」
という、あの独特のイントネーションは、いつまでたっても耳の奥に残っている。
まぶしいばかりの、白い大地と青空と、そこに吹く心地よい風の感触とともに。

毎日快晴が続いていたのに、オーロラはなかなかあらわれず。 数日たって
いろんな学生が集まっているときに、「1週間じゃあ、なかなか見られないかもな」と
言われ、なきそうになった私をみて、星野さんは、「いや、絶対に見られるよ」と
力強く言う。 「泣きたくなるぐらいいい人だ」 と日記にある。
ようやく目にすることができたのは、4日目、そして激しく舞ったのが5日目。
 「今夜はこのまま激しくなるかもね」といいながら、車に乗せて、星野さんが
気に入っている撮影場所に連れていってくれた。
手元が明るくなるほどの緑のオーロラ、ブレイクアップというほどのものにはなって
いなかったけど、星野さんは、「今日のはすごかったねえ。こんなのはめったにみられない」と
何度も繰り返し言う。 そして、アイスクリームをおごってくれた。

ある意味、ほんとうに自分がやりたいのは、オーロラの研究なのか否か?それを
確かめるための旅でもあった。 結論は、おそらく「よくわからない」(笑)だったのだろう。
でも、ここで思いをとめるわけにはいかない、やらないわけにはいかない、そういう
高まった気分で、札幌に戻り、そうして、赤祖父先生に教えてもらったインターンシップ
制度(4年生の夏休みに少しバイト代をもらいつつ、研究の手伝いをして学ぶ)が
次の目標となった。

大学生活そのものは、サイクリングクラブの仲間がいて、地球物理学科の仲間がいて
1年生のときからの仲良しがいて・・  毎日感動できる北大構内の自然の風景が
あり、美しい四季の移り変わりがあり、たいていのことがとてもハッピーだった。 

インターンシップは結局、地物の先生にも、「そんなにあせらんでも」といわれて
たしかにそうだ、という面もあり、あきらめた。 同時に、大学院で、アラスカ大学へ・・
という目標も、具体的に考えて、アラスカ大学の先生に相談するにつけても、
地物の先輩に相談するにつけても、やっぱりあまり現実的ではない、そもそも
プラズマ物理も勉強してないのに、英語もたいしてできないのに、いきなりアメリカ
いってどうする?というのが、たいていの見方だった。 わかってはいたけど、
自分の「夢」らしきもの、と描いていたものと、現実は、あまりにもギャップがあること、
第一、自分の夢は、アラスカに行ってみたいということだけで、別にオーロラの研究
じゃないのではないか?ということは、この時点でうすうすとわかっていたように思う。
そんな中で、とりあえず大学院は、名古屋大を目指すことに。

大学院の入試は9月、その試験勉強をしているさなかの8月のある日、あまりに
天気がよくて気持ちがいいので、部屋にいるのがばからしく、北大の植物園に
いって勉強しながら、もう一つの本を読んでいた。 稲本正「森からの発想~
サイエンスとアートをむすぶもの」。 稲本さんは、知る人ぞ知る、オークヴィレッジ
創設者。 もともと彼は物理の研究者をしていたのにも関わらず、あるとき、
飛騨の匠の修行にはいることを決め、その後、100年かけて育った木をつかって
100年使えるものを、というコンセプトで、木を育て使うという活動、幅広い環境教育
その他、数え切れない活動をしてきた人だ。
北海道でつちかわれた、自然へのどうしようもない想いや、森への憧れ、心に響く
音楽や文学、サイエンスという形だけじゃなくて自分が大好きなそういうものを
なるべく捨てずに生きるにはどうしたらいいか、ということや、自分はほんとに
研究者になりたいのか?という自問がずっとあった。
彼の「サイエンスとアートを結ぶ」という発想や、地球や人々にとても近しく
寄り添う活動、そういったものに一気に「やられ」、
「そうだ、いつかミュージアムをつくろう。 オーロラミュージアムでもいい。そしたら
それにアプローチする、音楽も美術も文学も科学も全部つなぐことができる」と
考えた。
とてもいい考えに思えた(笑)。 しかし、私は決定的にミュージアム体験が乏しく
また、行ったことがあるにしてもそこがどんな場所だったのかちゃんと覚えている
ところは皆無、というぐらいの記憶のなさ。 そういうところが、地に足着かないところ
だったんだろう。 
妄想は、やがて、小さいミュージアムを森の中につくり、そこには小さいパンやさんが
ついていてお茶を飲むこともでき、旅人をとめてあげられる宿も併設している、
そして自分は森の中で、木工をしながら暮らす。 という考えに膨らんでいった。
(4年生の間は、ほんとに木工がすごい好きになって、木工職人になろうか、と
半ば本気で考えていたときもあった。 森、に夢中になっていた時期でもある)


それでも、とりあえず、「オーロラの研究をする」とまわりにふれ回っていたこともあり、
それのためにいろいろ尽力してくださった方々がいる手前、いきなり大学院にいかない、
ということもできない。 まあ、そこでいきなり方向転換ということも自分もあまり
考えてはいなかった。 とりあえず、勉強して大学院にいって、オーロラの研究はやってみよう・・
大学院入試の1日目、大学生協でみつけた本は、物理学者でのちに物理学会の会長も
つとめた米沢冨美子さんの「人生は夢へのチャレンジ」。 今、高校などで講演するときの
タイトルは、実は同名。 かってにパクらせてもらっているのであった。

そうして、翌春、名古屋大学の大学院にすすむことになる。
大好きだった札幌、そして北海道。 高校生のインターハイのときに、どれだけ
時間がかかっても北海道全部をまわろう、と想ったそのことは、サイクリングクラブに
いたおかげで、かなり実現できた。
はじめて「体が喜ぶ土地」という存在を知り、自然と人間の関係のことを考えさせてくれ
こんなにも雪の美しさを教えてくれた土地。
四季折々の写真と、その土地とそこで出会ってくれた人たちへの想いをかいた
アルバムが、いまでも本棚におさまっている。
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by malicosmos_meme | 2013-01-29 23:00

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