46年と20年と3年と―2月振り返りとともに「つなぐ」を考える
そして、プラネタリウムを仕事の場として得るようになって19年、(半ば)独立して3年、そして、この3月には、いよいよほんとに独立するのと同時に、これまで出逢ってきた仲間たちをネットワークして「星つむぎの村」をあらためて再スタート。これは、20年越しの「いつかミュージアム」の想いが、その一つの可能性として実現するときなのかなあ、とも感じる。
星つむぎの村のサイトもつい先日からオープン。
http://hoshitsumugi.main.jp/web/
自身の仕事のキーワードに「つなぐ」という言葉を意識しはじめたのは、いつだろう? これも10年ぐらいか? ふと思えば、「星は人をつなぐ」ということを、あらためて言語化できたのは、やはり10年前に制作していた「戦場に輝くベガ」がきっかけだったように思う。一方、最近、自分が仕事をはじめたころの、つまり、プラネタリウムというものに出逢いはじめて、解説や番組というものをてさぐりではじめたころのノートとかが出てきたりする場面あり、あんまり考えていることが変わってなくて、やっぱり20年前に「人に出逢いたい」「人を相手に仕事しよう」「科学と社会(人)をつなぐんだ」と思ったところがいろんなことの起点なのかな、と思う。
2月の振り返りもかねつつ、自分の中のキーワード整理。
○八ヶ岳
19年前、山梨に就職がきまる1か月ぐらい前。当時、愛知県の豊川にいたのに、あるグループにくっついて清里にきた。途中からひとりになり、雪で覆われた、キープの農場とその向こうにそびえる赤岳の凛とする姿に、心奪われひとりで歩き続けた。まだ行き場を決めることのできない不安定な日々の中に、きっとここにまたくるんだろう、という想いが何かあった。星野さんの最後の講演がここであったということは、おそらくそのときには気づいていなかったと思う。5年前に八ヶ岳山麓にアルリ舎になる小屋をかった。この冬は、八ヶ岳でのお仕事に携わる機会も増え、今月の4回の週末のうち3週、清里だった。自身が、だんだん八ヶ岳に摺り寄っているんだな、と思う。そして呼んでもらえているようにも思う。
誕生日の今日も清里へ。何か自分を投影するものを欲するとき、つまり、何かしら自分のことを眺めてみたいと思うとき、きっと自然が不可欠なのだろう、と思う。もちろん星空も含めて。人はなぜ星空を美しいと思うのだろう、なぜ自然を美しいと思うのだろう。人々は、これまで生き抜いてくるのにその感性なくしては、生きてこられなかったのだろう。自身を投影する対象として、今、自分にとって八ヶ岳と星空というのが何よりものよりどころ。
だから、「星つむぎの村」は、八ヶ岳と星空の間に、きっと根を張っていく。
○つなぐ
その八ヶ岳でおこなわれる「つなぐ人フォーラム」。今年で8回目。毎年、何かしらの新しい出逢いを生み出し、仕事も生まれている場。これが何であるのかを一言で言い表すのは、とても難しい。よくわからなさがこんなにもあるのに、120人近い人たちが全国から集まり、漠然とした価値観を共有しながら、非常に刺激的な3日間を過ごす。全体のテンションが高すぎるという感もある。ともすると、その時間が非日常になり、日常との境目をつくる。望まれるのは、いかに自身の延長としての時間と出逢い、そして毎日に帰っていったときに、ひとつかふたつの新しい何かを持ち帰って、あわよくばそこに仕事がうまれていること。
これまで、さんざん「つなぐ」という言葉を使って、自身の仕事を表現したり、話をしたりしてきた。フォーラム内では、「つながることはいいこと」感にあふれて、逆にそれにいくばくかの違和感を覚える人もいる。フォーラムのためにも、自分の仕事のためにも、再度立ち返って、それは何のことなのか? と、もうちょっと考えておくことが必要だなという気分にある。今の社会の中での、「つなぐ」の意義とその役割について、自分ひとりで考えるのはあまりにも壮大すぎて、今はできる自信はない。(それをやっていけるのが、つなぐ人フォーラムのはず、という想いはもちろんあるし、その議論をあらためてやっていきたいね、という気分でいる)
なので、今は、自身の立ち位置で「つなぐ」を考える。
それは、おそらく「星と人をつなぐ」「星で人と人をつなぐ」「星や宇宙と他分野をつなぐ」にある程度集約されるのだろうと思う。
「星と人をつなぐ」
人はなぜ星をみあげるのだろうか、という根源的な問いに対する何か。数年前のフォーラムに参加したときのことをこんなふうに表現してくれた人がいた。私のプラネタリウムを体験し、家に帰ってから星空を見上げたときに、(それまでは、サイエンス的なことを情緒的な面で表現したりすることに若干の抵抗を感じていたのが)、純粋に「星の運行を人々は調べずにはいられなかったんだろうな」と思って、とても腑に落ちた、と。
本物の星空体験の中に、自然に湧き上がってくる想いと、他者が積み上げてきた営みがつながる瞬間だったのだろう。
そんな瞬間のきっかけをつくることができるのだったら、それは自身の仕事冥利につきること。逆にそのためにこの仕事をやっているんだな、ということ。
「星で人と人をつなぐ」
人は生きていくのに物語が必要だ。柳田邦男氏がどこかの文章にこんな趣旨のものがあった。たとえば、障害を持って生まれた子どもがいたとして、どんなに医者に、その障害が何を原因にしながら生まれたものか、というものを説明されたとしても、それはその人が生きていく活力にはなりえず、その子を持つことで自身が何を学んでいるのか、どんな喜びや悲しみをもらったのか・・そういうことを自身の物語として描く必要があるのだ、と。
「星は人と人をつなぐ」というのは、まさしく、人が生きていくための物語のエッセンス。それが意味ある物語になるのは、その人がそのエッセンスを体の中にいれて、ほんとうにそう思ったり、行動したりするとき。
今はそんなエッセンスをちりばめて、しゃべったり、書いたり、しているけれども、でも実はこれも、自分が仕事をしてくる中で、いろんな人たちから教えてもらってきた大事なことの一つなんだと思う。
「星と他分野をつなぐ」
星はずっと昔からずっと未来まで存在している。
その事実が、星とどんなジャンルをもつなげる勇気をくれる。どんな時代にもそれを見上げていた人たちがいる。しかも、現代における科学は、星がなかったら私たちの存在はなかったことを教える。「存在」ということが中心における以上は、あらゆるジャンルが関わってくるのはある意味当然のことでもある。
とはいえ、15年ぐらい前、「いつか福祉と宇宙がつながるときがくるといいな」と漠然と思っていた当時は、何がどうつながるのかはわからなかった。あのときから思えば、今、「病院がプラネタリウム」がいろんな人たちに支えながら、少しずつ広がり続けていること、それは自身の少しの成長のような気もする。
20年前は、サイエンスとアートの融合という言葉に憧れていた。そういうことがほんとにやってみたい、と思っていた。池澤夏樹氏は、ご自身が理系出身でありながら、小説を書いたり評論したりする立場であることを、「文学と科学の融合などという大それたことを言うつもりはない。文学と科学の間を渡り歩いている、という感じ」と、「星界からの報告」のあとがきに書いている。そういう点において考えると、実は、私も「天文学と他の分野をつないでいる」なんていう大それたことは言えないのかもしれないとも思う。
自分が何をもってして、「異分野をつなぐ」といっているのか、というのは、実は、いろんなジャンルの人間が一つの仕事を一緒にする、っていうことなんだな、と気づく。そこで生じる、共感や抵抗、そういったものを経て生み出される何か、それが1+1=3以上になったときに、「つながった」といえるのかもしれない。
覚和歌子さんが、言葉を探していく作業を、「深い井戸を降りていって、そこに広がる共鳴の海を探すようなもの」と表現していた。自分自身はとりあえず、サイエンスという切り口から入っていって、その共鳴の海を探していったところに、今の自分自身の表現がうまれたんだな、ともふと思う。それは、その共鳴の海をともにつくりだしてくれる、多くの素晴らしい他ジャンルのプロがいたから。そして、互いに出逢ってよかった!と心から思っているから。
○つながる人々1
今回のつなぐ人フォーラムで、「つながった」方をひとりご紹介。(※ここでいう、つながった、は、実際にいっしょにワークショップができたこと、そして、おそらくこれから先、ともに仕事をご一緒することで互いの可能性が広がっていくであろうということ)
ケアリングクラウンの麻理子さん。
難病の方たちに向かう、病院プラネをやる中で、自分がずっと足りないと思って探していたものをいただいた感じ。
彼女の「言葉を超えるコミュニケーション」45分間ワーク。
彼女の経歴や、やってきた経験のお話を聞きながらのワーク。2人一組になって、自己紹介したり、自分の好きなことを言う。それに対して、そのことで相手はどれだけそのことで自分にいい影響があったか、ということを伝える。手をとって、しずかに相手の呼吸にあわせる。
なんだかとてもシンプルなことなのに、最後に相手の呼吸にあわせるっていうのをやっていたら、自分でも驚くほどに泣いてしまった。たった5分の、すごい体験だった。
翌日の2.5時間ワークを、「一緒にやらせて」とラブコール。ほとんど前打ち合わせのない形でやったワークがきちんと成立したのは、一重に、麻理子さんの手腕によるものなのだけれども、でもやはり星空や宇宙がもっている根源性が人を生かしているという確信にもつながったワーク。「生きているということはこういうことなんだ」と、だれもが体で得ることのできた時間。
その後、彼女が使っていた音楽をずっとリフレインしながら、あの、すべてがいとおしくなるような感覚をずっと抱きしめていたい気持ちが持続している。ほんとうにこうやって生きていけたらなあ。
○つながる人々2
フォーラムの1週間前、兵庫県内にある障害児施設と支援学校をたずねる。おととし、去年と3年連続。そのはじまりはもう7年ほど前のある先生との出逢い。その先生は、支援学校の子供たちが行う「劇」のテーマを探していたところ、「星つむぎの歌」の絵本を本屋さんで見つけ、「まるで自分を呼んでいるかのように」思い、子どもたちとミュージカルにしてくださった方。
施設で、すごい眉間にしわをよせて厳しい~顔をしていた子が、プラネからでていくときに、にっこにこになって出て行って、もう1回みてしまった子、(おそらく自閉症で)手元の雑誌をずっとめくり続けたりしていた子が、最後地球に帰るシーンになって上をみあげて「いのちだ」といったり。学校では、その先生が、「この子がこんなことを感想に書くなんて驚きました」という、その感想は、「私が一番好きなのは太陽。太陽はみんなを照らしてくれる。私は太陽がうらやましい」、というものがあったり。手足が非常に不自由ながら、その手で、「感動しました」という言葉を書いてくれたり。
その先生曰く、「移動プラネタリウムのドームは、星つむぎの歌(絵本)のオルゴールみたいですね。入る前の顔と出てきた顔が全然違って、みんなものすごくいい顔になって。」と。
上記、ケアリング麻理子さんや、彼女をつれてきてくれた梅崎さんが、アドラーの心理学の上での、「幸福とはなにか」。
自分が好き
他者を信頼できる
自分が何かに貢献できる
誕生日に、facebookを通してたくさんの人たちからメッセージをいただく。ほんとうに出逢えてよかったね、と互いに思える人たちがいる。それだけで、上記3つをすべて抱えられる。
○雪
自分の誕生日と雪は密接。2月に掲載してもらったエッセイも雪のこと。
○誕生日
2月はじめて、家にいられた休日。娘と友達をつれて八ヶ岳の空気をすいにいき、かえってきたあとは息子参加の手作りケーキ。
家族、出逢えた人々、風景、そして今があること、それらに深く感謝しつつ。